米もイモもブドウも・・・。地域の農産物を“酒”に。「築城の天才」の子孫が目指す、地域ブランドの酒

 近年、JR琵琶湖線の県内停車駅で、隣接の「南草津駅」と乗降客数のトップ争いを続ける「草津駅」。その名の通り、江戸時代に整備された東海道・中山道の分岐点、草津宿の最寄り駅で、当時から交通の要所として重要な役割を果たしていた同宿には、大名や幕府役人が宿泊した本陣が現存し、周辺は今も宿場町の風情を残しており、白壁が印象的な太田酒造(草津市草津)の酒蔵も景観保全に一役買っている。

同蔵取締役の太田精一郎さんによると、室町末期に江戸城を築城した太田道灌から6代目の子孫太田正長が、江戸初期に徳川家から命を受け、草津宿を往来する人が運ぶ物資の計量や両替などを行う貫目改所と、依頼に応じて人や馬を調達する人馬継立所の管理運営に加え、街道の動向や不審な動きを見張る「隠し目付け」のような役目を任され草津に“赴任”してきたという。

明治7年、管理していた良質の近江米で酒造りを始めた太田酒造は、徐々に石高を増やし、太田さんの祖父の時代に東京や兵庫・灘での酒造りも手掛けることになる。第二次世界大戦末期の食糧難の折には、宮家の命を受け御料林を借り受けブドウを、近隣の荒れ地を開墾してサツマイモを栽培するなどして、軍や地域住民に貢献、戦後はそれらを焼酎やワインに加工、販売するなど、時代に即した“商い”を続けてきた太田酒造。

「モノ作りはヒト作り」だと話す太田さんは「ワインと日本酒は食中酒の双璧」だと言い「両方を造れる強みを生かし、地域の農産物を特産品に加工販売することで、滋賀・草津の知名度アップにつなげていきたい」と意欲を見せる。 2022.9