近江國の酒造りと北大路魯山人

皆さんも『北大路魯山人』と言う名前を一度はお聞きになられたことがあるでしょう。明治から昭和にかけて活躍をした当代きっての美食家であり、また芸術家であった廬山人は、滋賀県長浜の紙文具商人の河路豊吉に才能を見込まれ、長浜をはじめとした湖北地域に長く逗留をしました。その折に湖北の木之本にある冨田酒造の清酒『七本槍ーしちほんやりー』と出会ったと思われます。 この冨田酒造、天文3年(西暦1534年)頃の室町時代に琵琶湖の最北端、賤ヶ岳山領の旧北国街道沿いで創業したと伝わる日本でも屈指の歴史をもつ酒蔵です。代表銘柄『七本槍』の名は、本能寺の変の翌年 天正11年(1583年)織田信長の跡目をめぐり豊臣秀吉と柴田勝家が戦った『賤ヶ岳の戦い』で勇猛果敢な働きによって秀吉に天下人への道を開くきっかけをつくった、加藤清正・福島正則・片桐且元・加藤嘉明・脇坂安治・平野長泰・糟谷武則の七人の若武者の総称『賤ヶ岳の七本槍』からとされ、銘酒『七本槍』は縁起の良い酒、勝利の酒として愛飲されてきました。優れた篆刻家でもあった魯山人は、逗留時にこよなく愛した清酒『七本槍』の槍の字を木偏『槍』ではなく金偏の『鎗』で『七本鎗』と彫った扁額を同蔵元に寄贈しました。以来 冨田酒造では魯山人の手による金偏の『七本鎗』の文字をラベルに使っています。

近江國酒のラベル文字への拘りで近江國酒の歴史の夢がまた広がりました。  敬天 愛人